「シブパネル」-登壇してくださった方のご感想

「ファイザープログラム 心とからだのヘルスケアに関する市民活動・市民研究支援」で助成いただき、2019年度から「病気や障害のある人の「きょうだい」の経験共有の場「シブパネル」開発事業」を3年にわたってみんなで進めてきました。現在作成中のガイドブックに掲載しきれなかった情報を掲載していきます。

「シブパネル」は、病気や障がいのある人の「きょうだい(sibling)」によるパネルトークです。
この投稿では、実際にパネリストとして登壇してくださった方々のご感想を掲載します。

人前で語ってきた経験の中でも、シブパネルは特別な場でした。特別だと感じたのは次のようなことです。

1.話すことに伴う気持ち
きょうだいとして話をすることに慣れていても、不安やしこりが残る感覚とは隣り合わせです。ところが、シブパネルの帰途にわいてきたのは感謝の思いと穏やかな幸福感でした。今までは話す時に無意識に心を酷使していたのかもしれません。自分の話をしても気持ちが凪いでいるというのは稀有な経験でした。

2.今の自分の尊重
シブパネルは、期待される答えが先にあるわけではなく、今ここでの本人の思いが大切にされます。私は人前で話すときには、収まりのよくない話をそぎ落としていきます。形良く切り分けた体験も嘘ではないのですが、形になりきれない部分こそが自分の核心なこともあるのです。シブパネルの場では、そのような部分を「今話してみたい」「話しても大丈夫」と素直に感じ言葉に乗せることができました。その小さなチャレンジを試みたことが、私にとっては大きなステップでした。

3.相互作用
シブパネルは、その場全体でゆるやかな相互作用が起きているのを感じました。それは温かく、話し手にとっては支えになり、新たな気づきにつながります。自分の経験を振り返る時に、自分の中だけで完結することも可能ですが、他者に伝え他者の経験も聴くことは、視野の広がりと学びになります。そしてお互いの存在の肯定につながるように思いました。

これらの前提にあるのは、ゆるぎない安心感です。丁寧ないくつもの過程から育まれる信頼関係があり、多様性の尊重があり、心の揺れも含めてひとりひとりの今の語りを大切に見守ろうという一体感。それらがあってこその安心感なのでしょう。
このシブパネルは、今は特別な場です。これが時を経て体験の語りの場のスタンダードになり、様々な経験をもつ人が安心して語り、つながっていってほしい。そのように願っています。

「シブパネル」に登壇させていただいて感じたことは、圧倒的な“安心感”でした。それは事前の打ち合わせから始まり、当日の運営・司会進行、終了後のフォローまで一貫していました。常にやさしく温かくて、「きょうだい」としての私が無理をすることなく関われるようにたくさんの配慮がありました。

「きょうだい」として人前で話すということは、家族のことや自分の気持ちを話すことであり、普段はなかなか人に言わないことを口に出すこともあります。いろんな方に「きょうだい」の気持ちを知ってほしい、「きょうだい支援」がもっともっと拡がってほしい、そんな想いをもってお話させていただくわけですが、その時にはいつも、多少なりとも心の内をさらけ出す怖さと戦っている自分がいます。また講演会などでは、自分の経験談を話すことに加え、一般的な「きょうだい」や「きょうだい支援」への理解を促すようお話するプレッシャーも同時にあります。

この「シブパネル」では、事前の打ち合わせで司会進行役の方と登壇者とが顔を合わせ、本番で話そうと想定している内容を共有できたことにより、当日のプレッシャーはかなり軽減されました。また、司会進行役の方が「きょうだい」について深い理解があったことで、自分が話したあとにフォローしてもらえる安心感と守られている安心感がありました。さらに、終了後に企画運営者と登壇者とで感想をシェアする時間があったことで、気持ちが軽くなりました。登壇して話したあとには、あれでよかったのかな?と悶々とすることや、心の蓋が開いてザワザワと落ち着かない気持ちになることも少なくありません。そんな気持ちさえも受け止めてもらえる場があったことが安心に繋がりました。
“「きょうだい」の気持ちを知ってほしい”と立ち上がった「きょうだい」たちが、“一人じゃないよ”と感じられる場所としても、この「シブパネル」は重要な役割を担っていくことと思います。

「きょうだい」としての自分の体験や気持ちを語るのは、簡単な作業ではありません。「“きょうだい”でいること」と「自分であること」は切り離せないので、自分を形成してきた体験やそこで生まれた感情をそのまま語ることになるからです。それを否定されたり、ぞんざいに扱われたりするのは、耐えがたいことです。

シブパネルに登壇させていただいて強く感じたのは、「守られている」という安心感です。“きょうだい”であることを気負うことなく、自分が考えていること・いたことを素直に表現してもよくて、それをあるがままに受け入れてもらえるという安心感。
前に出て視線を集めることには怖さもありますが、お話を聞いてくださるみなさんが「うんうん」とうなずいてくれたり、涙する姿を見たりして、「これでいいんだ、わかってもらえるんだ」と勇気づけられました。「少し表現が足りなかったな」と感じたとき、モデレーターの眞利さんが補足してくれたことにも、とても安堵しました。
ほかのパネリストさんともまるでチームのような連帯感があり、お互いに助け合って質問に答えたような気持ちがしています。今回登壇できて、わたしは本当に幸運でした。

シブパネルは「話す人」「聞く人」「企画した人」という垣根を越えて、みんなが当事者になりつくりあげ、盛り立てるものだと思います。だからこそ安心感が生まれ、「この場なら話せる」という本音をこぼせるのです。こぼした本音がすくい上げられ、認めてもらえたときの充足感は比類ない経験です。
シブパネルはこれから全国に広がり、多くのきょうだいさんやきょうだい支援をされている方々の助けになっていくのでしょう。パネリストとして登壇するきょうだいさんをはじめ、参加された方みんなが(途中で心が揺らいで涙が出たとしても)最後には笑顔になれるような、満たされた時間になることを願っています。

私は15年前に弟を亡くしているので、シブパネルのお話を受けた時、ある程度当時の自分の状態を冷静に見つめ直すことができるいい機会かな、私の話が誰かの役に立つのであればと思い、特に迷うことなく登壇を決めました。
登壇が決まってからは、“きょうだい”としての自分の立場や思いを、日常の中で振り返ることが多くなっていました。それは時に、心が温かくなるような懐かしい気持ちにさせてくれることだったり、今でも涙が出てしまうくらいしんどいことだったりと様々でした。亡くなって時間も経っているので、穏やかな気持ちで振り返られるだろうと思っていたのに、今の私にとってまだこんなにも強い印象や感情を引き起こすことだったのだ、と気づかされました。

シブパネルでお話をしてみて、自分の経験を言葉にして伝えようとするきょうだいさんたち、きょうだいさんに寄り添いフォローしてくれるファシリテーターさん、そしてどんな話に対しても真剣に耳を傾けてくださる参加者の皆さん、3つの立場の人がいて初めてシブパネルは成り立つんだな、と実感しました。きょうだいのことを考えてくれる人がここにいるんだ、という嬉しさ。うまく言えなくても、フォローしてもらえるという安心感。同じきょうだいとして“あるある”と笑ってしまうこと。“その出来事に対して、そんな風に思ったんだ”という個々の捉え方の違いの興味深さ。お話できて、本当によかったなと思いました。

弟が亡くなって悲しい気持ちでいっぱいだった時に、もしシブパネルがあれば、同じ立場のきょうだいさんに会って話を聞くことができていれば、あの時感じた気持ちは楽になったのかもしれないな、と強く思いました。
これから登壇される方には、自分の気持ちを大事にしながら、立派なことを言わないと!などと気負うことなく、きょうだいとしての思いを言葉にしていってほしいです。皆さんの話を待っているきょうだいさんはたくさんいます!

今まで、きょうだいとしての自分の体験や思いを人前で語ったことが何回かあります。主催者の意向や場の雰囲気によっては、自分の語りの中に、障害のある兄弟姉妹や親に対して愛情や感謝の気持ちを示し、頑張りを称え、苦労を労わる内容を組み込むように求められていると感じたことがありました。それができなければ、自分が体験や思いを語ってはいけないという気持ちになっていました。また、きょうだい支援の活動歴が長くなればなるほど、「きょうだいの話を聞いたことがない人にも受け入れてもらいやすい話題を選択しなければ」という思いに駆られ、自分が本当に伝えたい話をしているという実感が持てずにいました。

他のきょうだいの語りを聴く場にも、何回か参加したことがあります。ある場では、きょうだいが、障害のある兄弟姉妹と親に対して先述の内容を述べた上で、「自分は何も苦労していません」と語っておられました。そこに参加されていた、そのきょうだいの親御さんが、「きょうだいは皆、私の子どものように育つのです」と一般化して話しておられました。「私は何を見せられているのだろう、私のようなきょうだいは必要とされていないのかな」という気持ちになったことを覚えています。

シブパネルでは、きょうだいが抱えうる体験や思いの基本的知識のある方が参加対象だったことから、安心して話すことができました。また、シブパネルの冒頭で、「きょうだいとしての自分」は人生の一部であり全てではないという説明がなされたことで、自分が本当に伝えたい話をすることができたように思います。
また、話せて良かったという感想と矛盾するかもしれませんが、シブパネル終了後に、「今は人前で話すタイミングではなかったのかもしれない」という振り返りの仕方ができたことも、私にとっては貴重な経験でした。一人一人の状況を踏まえたフォローを丁寧に行って下さったおかげで、自分の語りも必要とされているという実感を持つことができました。

まず初めにこの企画を頂いた時、「きょうだいである登壇者の心を守りたい」という趣旨にびっくりし、目から鱗でした。
更に趣旨を聞かせてもらうと、「きょうだいである登壇者にとって安全安心な場であること」を最も大切にしたい事だというのです。
なんと⁈というのが私の最初の気持ちです。
私は今まで自分が講演する機会を頂く中で、きょうだいである自分の心を守りながら話す事に重点を置いてきた事は一度もなく、聞いて頂く方に何かを持って帰って頂きたくて、それだけに終始してたように思います。
そして、自分できょうだいにスポットを当てた講演会などを主催する際も、講演して下さるきょうだい達に対し、「あなた方のきょうだいとしての心を何より大切にします」と思った事は恥ずかしながら一度もありませんでした…(もちろん大いなる感謝と尊敬の気持ちはあります)
そんな私の、目から鱗体験から始まったこのシブパネル企画…。
事前の打ち合わせから他のきょうだい達のありのままの気持ちに触れ、胸がふるふる。
その中で私自身気づいた事があります。
それは「ありのままの気持ちをお話しする」と使命感のようにいつも感じていた自分も、きょうだいとしてお話しする機会を重ねるごとに、幼少期に感じた気持ちなど過去の気持ちが綺麗にまとまり過ぎてしまって「ありのまま」でなくなってきている、という事です。
うまく話せなくても良い、答えに詰まっても良いし、答えたく無い質問にはパスをしても良い。
そんな、ある意味逆ルールのシブパネルで改めて「ありのまま」の意味を再確認し、自分の心を大切にすること、きょうだいである自分の気持ちは大切にされるべきものなんだ、という新たな価値観を与えてもらったような気がします。
本当にこの企画に参加できて良かった♡
貴重な機会を与えて下さった、しぶたねの清田さんと眞利さんに感謝の気持ちで一杯です。