もう一人の主役(42)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。

昨年しぶたねは無事10周年を迎えることができました(ありがとうございます!)。記念誌をまとめる作業を通して10年間を振り返り、次の新たな一歩を踏み出す先を考えているところです。
踏み出したいことの1つに、きょうだいを病気で亡くしたお子さんへのサポートがあります。「しぶたね」を立ち上げた時からずっときょうだいさんの悲しみに寄り添いたい気持ちがありました。それは自分自身が弟を亡くした経験から思ってきたことで、だけど、その経験があったから、なかなか踏み出せなかったことでもありました。弟を亡くした悲しみと付き合いながら、進んだり戻ったり…進んだように見えて戻っていたり、戻ったように見えて進んでいたり…15年かけてやっと、今、このたくさんの仲間と一緒ならできることがあるのではと思えるところまできました。
最後に背中を押したのは、ある患者会がお子さんを病気で亡くした親御さんを対象に集めたアンケートの結果でした。「病気の子を亡くして、きょうだいを愛せなくなった」と答えた親御さんが何人もおられたのです。この親御さんたちは、どんなつらい思いでここに丸をつけたのだろう、このお家のきょうだいさんは今どうしているのだろう、と、胸が苦しくなりました。
私が弟を亡くした時、周りの大人の人は、「あなたがしっかりしてお母さんを守ってね」「泣いてないで、弟の分もしっかり頑張らないとだめよ」と口々に私を励まし、私は泣くことも許されないのだと感じました。母の方が、父の方がつらいのだから、自分がしっかりしなくてはいけないと、心の蓋をぎゅっと閉じて、そうしたことで、自分の悲しみと向き合うことが遅れ、よけいにこじれてしまったように思います。私に限らず、きょうだいには「お母さんとお父さんが心配だから」と、自分の悲しさや苦しさを後回しにして、「お母さんが泣かないようにしなくては」「亡くなったきょうだいの分も頑張らなくては」と、不安定な土台の上で頑張らざるをえない状況になる子がたくさんいるように感じています。そんなきょうだいたちに、あなたは何も悪くないよ、泣いても笑ってもいいんだよ、話したい時には亡くなったきょうだいのこと話していいんだよ、と伝えられるもの、伝えられる場をつくっていきたいと思っています。
10周年のイベントを開いた時に、初めて子どもたちの前で「しぶたね」をつくった話をしました。子どもたちにもわかりやすいようにと紙芝居をつくったのですが、この話をする時に弟の話は避けられず…。私の弟が死んでいるということを子どもたちがどう感じるかなと最初は不安でしたが、描いてみたら自然に絵と言葉が浮かびました。「私には、天国に弟がいます。すぐに会うことはできないけれど、心がつながっているからだいじょうぶ。」。小さなきょうだいさんたちがいつか「だいじょうぶ」って思えるように、心の中の亡くなったきょうだいと一緒にキラキラと輝いていられるように、ゆっくり時間をかけて、そっと隣にいさせてもらえるようになるといいなと思います。