もう1人の主役(50)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。

きょうだいと結婚(2)
きょうだいと結婚(1)の続きになります)
自分の子どもが「この人と結婚します」と連れてきた相手が病児や障がい児のきょうだいだった時、親御さんはきっといろんな不安な気持ち、心配な気持ちを持たれるのだろうと思います。「障がいのあるきょうだいの面倒をみないといけないんじゃないの?」「子どもに遺伝はしないの?」大切なお子さんが苦労するのではと反対したい気持ちになる方もおられると思います。私が知っていてほしいなと願っているのは、そうやって浮かぶ不安は、目の前のきょうだいがすでに千度悩み抱えてきた不安だということです。
きょうだいたちは幼い頃からいろんな気持ちを抱えて育ちます。周りの大人の目が病気の兄弟姉妹に集中することで、自分は必要のない子どもなのだと感じてきたきょうだいも、自分の楽しみや幸せに罪悪感を感じずにはいられないきょうだいもたくさんいます。兄弟姉妹が命にかかわる大きな病気になった経験やそのことがきょうだいに及ぼす影響は、病気が治れば、大人になれば、すべてなくなるわけではなく…私自身「自分はいらない存在なんだ」という気持ちの波に飲みこまれるのは本当に簡単で一瞬のことだと感じて生きてきました。
でも、私が、きょうだいに声をかける人に知っていてほしいと思うのは、その波に突き飛ばす怖さよりも(それももちろん重要なのですが)、目の前の人のこれまでの人生をもあたためる力を人は持っているんだということです。
結婚の報告を私の母にした時、母の第一声は「結婚はすればいいと思うけど式はしなくていいんじゃない?もう家にはおめでたいことなんかないんだから」でした。息子を亡くした母親がどんな顔をして結婚式にいたらいいかわからないから、弟はもう結婚することもないのだから、という母の気持ちは大事にしたかったので式はやめておこうと思ったのですが、義母が「身内だけでも式しようよ、私が悠代ちゃんの晴れ姿見たいもん!」と背中を押してくれたおかげで、お世話になった人に集まっていただいて人前式をすることができました。自分の晴れ姿を見たいと言ってくれる人が世の中にいるなんて夢のようでした。
初めて夫の叔父に会った時は、叔父は新聞記事で私の弟が亡くなっていることや活動のことをすでに知っていて「いっぱい頑張ってきたんだからもっと胸をはったらいい」と言ってくれました。帰りの電車で叔父が作ってくれたサンドイッチを泣きながら食べました。夫の姪っ子がはじめて私の手をきゅっと握ってくれた時、親戚が、家族が増えたんだと、ふわーっと心があったかくなりました。一生忘れることのない出来事です。でも自分はたまたま運が良かっただけなのだとも感じています。自分は必要ない存在なんだと感じることの多いきょうだいたちが、たまたま運がよかったからじゃなく、みんな当たり前に社会から歓迎されていることを感じて育っていけるようにしていきたいのです。