もう1人の主役(49)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。

きょうだいと結婚(1)
きょうだい支援についてお話をさせていただくと、終了後に若いきょうだいが声をかけてくれることがあります。「清田さんは結婚してるんですよね?パートナーや相手のご家族には弟さんの病気のことどんなふうに話しましたか?」と。親御さんから「うちの子きょうだい児だからもう結婚できないんですよね?」と聞かれることもあります。
何度も聞かれる質問で、きょうだいの結婚はひとつの大きなテーマのように感じています。もちろんすべての人が結婚しないといけないわけではなく、選択肢のひとつであるし、結婚観はひとりひとり違うし、繊細な話題なのでこうして文章にすることはとても怖い気持ちでいるのですが、兄弟姉妹の病気や障がいを理由に結婚が破談になってしまったという話や、小学生のうちから「あなたは結婚せず兄弟姉妹のために生きてね」のプレッシャーがかかっているような子の話も少なからず聞いていて、触れずに通りすぎることもできず思い切って書いています。きょうだいに、というよりはきょうだいと出会う大人の方たちに知っていてほしいという気持ちが強いかもしれません。
私の尊敬する先生が、障がい児のご両親のしんどさの一つに、障がいのある子がいなかったらしなくてよかったような深い価値観―たとえば、自分のもっている障がい観や差別観、人生観など―のすり合わせの作業をパートナーとしなければならないことがあるとお話されていました。その通りだと思いましたし、きょうだいにも当てはまることだと思いました。パートナーが病気や障がいのある兄弟姉妹のことをどんなふうに受け止め理解してくれるのか、それはきょうだいにとって重大な不安要素です。「自分の兄弟姉妹のことをわかってくれないような相手なら別れた方がよい」のはひとつの考え方です。だけどそんな簡単に割り切れることじゃないなあと感じてきました。兄弟姉妹のことを悪く言われないか心配な気持ち、きょうだいとしてつらかったことに共感してもらえるか不安な気持ち、人生設計や遺伝のこと、どこまで話せばいいのか、話さなければならないのか、話していいのか…。親や自分の兄弟姉妹には傷つけてしまいそうで相談しづらくて、揺れ動く気持ちをひとりきりで抱えるきょうだいもたくさんいるのだろうなと思います。
私にとっての結婚も、自分が「きょうだい」であることをぐっと意識する機会になりました。幸い大人のきょうだいの会に所属していたので、同じ立場の先輩方に相談し、ずいぶん支えていただいて今の生活があります。若いきょうだいたちも、求めればこんな場とすぐにつながれるようにと願ってやみません。(2)に続きます…