もう一人の主役(25)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

わたしの番
 しぶたねは月に2回、病院で面会に行かれる親御さんを待つきょうだいとあそぶ活動をしています。終了時刻が近づき、ぽつぽつと親御さんがお迎えに来られると、お迎えがまだの子はちょっと不安になります。保育所などでもよく見られる光景なのだと思いますが、少し違うのは、時々その子どもが「おかあさんは○○ちゃん(入院しているお子さん)は迎えに行くけど私のことは迎えに来ないと思う」「ママはぼくのことは忘れちゃったんじゃないかな」とつぶやくことだと思います。そんな時私たちは胸がいっぱいになり、「絶対だいじょうぶ」なことを精一杯伝えます。ママがあなたを忘れることなんて絶対ないんだよ、あなたの番はきっとくるよ、と。親御さんが迎えに来るときょうだいは一瞬ホッとした顔になった後すぐにいつもの様子に戻ります。「迎えに来てもらえないかと思った」と親御さんに伝えることはしないのかもしれません。ホッとして不安な気持ちなんてすっかり忘れてしまったのかもしれないし、恥ずかしいのかもしれないし、親御さんへの遠慮の気持ちもあるのかもしれないと考えたりもします。
 弟が亡くなった時、両親の目が突然私の方に向いたように感じました。私が学校に行くだけでも母は家の前まで出てきて私が角を曲がるまで見送るようになり、父は私の誕生日を思い出し、私の年齢も正しく言えるようになりました。最初は両親の変化に戸惑い、心配にもなりましたが、ある日ふと自分の番が来たのだと思いました。弟の代わりにはなれないけれど、両親の心にぽっかりとあいた大きな穴を埋めてあげることもできないけれど、自分に向けられる愛情をちゃんと受け止め、返してあげたいと思うようになりました。とまどう気持ちの中に、正直ほんの少し「嬉しい」と思う気持ちがありました。
 弟が亡くなり1年ほど経った頃、法事で熊本に行く機会がありました。父は飛行機が苦手で新幹線で行こうよと言っていたのですが、母は「私はもう死ぬことは怖くないから。淳に会えるならいつ死んでもいいから飛行機に乗る。」と言ってききませんでした。母の悲しみはよくわかっていました。弟に早く会いたい気持ちも、弟を心配で仕方ない気持ちも、罪悪感も、みんな私の中にもある感情なので、わかると思いました。でも、「母は私のためには生きてくれないのだ」と思いました。私では母をこの世につなぎとめることはできないのだ、私の番はもう来ないのだと、思いました。
 今でも私は両親を弟から借りているような気持ちになっていることがあります。両親が弟のところに行けるまでの間、元気に両親を支えることが自分の役目のように感じ、両親に長生きしてほしいと思うことは自分のわがままのように感じます。本当はちゃんとわかっているのです。あんなふうに言っても母は私のことを弟と同じように愛してくれていることも、弟に会いたいのと同じぐらいの強い気持ちで私のことを心配し、一緒にいたいと思ってくれていることも、わかっているのです。ちゃんと自分の番が時々来ていることも。それでも両親を借りているような気持ちを消すことはできないなあと思います。親不孝ですね…。
 だから小さなきょうだいたちがこんなふうにならないといいなあと思うのです。きょうだいが「ぼくの番だ!」と感じられるように、「わたしの番もくる」と思えるように、「あなたの番だよ!」「きみの番もくるよ!」と言葉に出してたくさん伝えたいと思っています。