もう一人の主役(40)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。

「優しさ」を混ぜる
6月は弟の命日がある月です。今年で天使15歳になる弟ですが、残っている私たちは何年経ってもこの季節になると心がざわざわして、当時のことを思い出します。
弟が亡くなった日、私は大学の実習で社会福祉協議会にいました。実習先に母から連絡が入り、通院の途中で弟が心停止で倒れ、救急車で運ばれたことを聞きました。実習先の人たちはすぐに搬送先の病院の最寄り駅を調べてくださり、「大丈夫?」「気をつけて行きや」と優しく送り出してくれました。「落ち着かなければ」「早く母のそばに行ってあげなければ」と頭はしっかりしているつもりなのに、少し走ると足がもつれ、ばたんとこけて、手に持っていた傘が転がりました。動揺していました。数時間前には弟と笑顔で言葉を交わしたのです。あまりに突然のことでした。
弟はモノレールに乗りかけたところで倒れたそうです。救急車を呼び、持っていた酸素マスクをつけようとした母が、焦って使い方がわからず慌てていたところに、見知らぬ女性が駆け寄って、説明を読みながら手伝ってくれて、救急隊員の方が到着するまで弟の手を握っていてくれたそうです。
弟の意識が戻ることはなく、そのまま天使になってしまいましたが、繰り返し思い出すつらくて苦しい1日に、たくさんの人の優しさの記憶が混ざっていることが何度も私を救いました。
病気の子どものきょうだいに寄り添いたいと願って続けている活動ですが、重い病気の子のきょうだいが抱えるもの、背負うものの大きさを思うと、足がすくむことがしばしばあります。自分のきょうだいが大きな病気でしんどいのを見ること、きょうだいが死んじゃったらどうしようと不安に思う気持ち、きょうだいを亡くす悲しさ…小さな体で優しく強く生きているきょうだいたちに、私たちができることってあるんだろうかと…。でもきっと私がしようとしているのは、このつらさの中に、1つでもたくさんの「優しさ」の記憶を混ぜることなんだろうなと最近思うようになりました。私がもらってきた優しさを今度は他の人に渡せるように。みんなが持っている優しさが子どもたちに上手く届くように。