もう1人の主役(28)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(12)
 弟よりも自分の楽しみをとったのだという罪悪感から、私は部活を楽しいと思う気持ちとうしろめたい気持ちの間で揺れていました。でも、部活を続けることで、とてもよいことが起こりました。親友ができたのです。
 彼女とはいつも一緒に過ごしていたので、さすがにある日話題が尽き、私はふと弟のことを話してみようという気持ちになりました。「うちの弟な、心臓病で、けっこう重いねん」と、口に出してみると、言葉は想像していたよりずっとスムーズに出てきました。その頃彼女とはまだ出会って日も浅く、こんなに深い友人になるなんてまったく思っていなかった時期でしたが、今思えばタイミングはこんなふうに突然おとずれるものなのかもしれません。 
 彼女の反応はあっさりとしていて、ひくでもなく、軽く見るでもなく、「えー、それってけっこう大変やな」と返してくれたので、私は入試前に弟が倒れてもうだめかもしれなかった話や、また次いつ弟が倒れるかもしれないという不安を話すことができました。そして彼女もまた「きょうだい」の立場だったことを教えてもらいました。当時の私は自分を「きょうだい」というくくりで見ていなかったので、「同じだ!」というふうには思わなかったのですが、お互いに秘密を共有したことで絆が強まったような、またホッとしたような気持ちになったのを覚えています。「親にはこれ以上心配かけられないよねー」「そう、私は絶対親より長生きしなあかんって思うねん」というようなことを軽いトーンで話せる相手ができたことは私にとってすごく重要なことでした。
 物事を深刻に、後ろ向きにとらえがちな私とは違い、彼女はいつもクールで冷静で、その物事の見方は私にはとても新鮮でした。「いろいろしんどいこともあるけどさ、まあ、しゃあないやん?」と彼女が言うと、そうだなと素直に思えて、元気が出ました。彼女とはどんどん仲良くなり、クラスは違ったので休み時間のたびに廊下で一緒に過ごし、授業中はお互いに手紙を書き(笑)、帰り道では暗くなるまで立ち話をして、家に帰ってもまた電話をする日々でした。学校では授業についていけず、家の中でも何の役にも立たない自分なんて必要のない存在なのだと思っていた私にとって、今思えば彼女は私の「居場所」でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、彼女と過ごすことで私は自分が生きていて楽しいと思う気持ちを思い出しました。
 弟の病気がわかってからの両親は、自分の楽しみはすべて捨てて弟のためだけに生きていました。平日は仕事、休みの日は患者会活動に精を出す父、習い事も、友人と過ごす時間も全部なくして弟と一緒に過ごす母、いつでも母と一緒で、友達と外にあそびに行くこともできなくなった弟…。私だけは弟のためにできることもなく、両親の役に立つこともできず、宙ぶらりんな感じがしていました。両親も弟もしんどい中頑張っているのだから、自分も楽しんではいけないと、私は無意識に思っていたのだと思います。頑張れることもない、楽しんではいけない、よりどころだった成績は落ちる一方、弟のために辞めなければいけなかった部活も自分のわがままで続けてしまった…私の精神状態はだいぶガタガタでした。
 でも、彼女と一緒にコンビニでお菓子を買ってきて食べたり、放課後の教室で一緒に勉強したり、どうでもよい話題で長電話をしたり…彼女と一緒に過ごした時間には今でも鮮やかな色がついているような気がします。何を言っても大丈夫と思える相手ができたことで私の心はずいぶん元気になり、クラスにも友達が増えていきました。 
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追記
この文章を書きながら、最後まで迷い、今もまだ迷っている部分があります。3段落目の「『親にはこれ以上心配かけられないよねー』『そう、私は絶対親より長生きしなあかんって思うねん』」のところ…これを病気のために親よりも先に旅立たなければならなかった子どもや、その親御さんが読んだ時つらいのではないかというのを、たくさん悩みました。ただ、「きょうだい」の立場だった私と友人にとって、病気のきょうだいの分も頑張らなくてはいけない、せめて自分達は親に心配をかけてはいけない、ということはいつも最優先すべきことで、大きなプレッシャーでした。それが事実なので書こう、と最初にシンプルに思った気持ちを選んで書くことにしました。
私の弟が「俺が死んだらお父さんとお母さんのこと頼むで」と言ったことがありました。明日の命がどうなるかは誰にもわからないことなんだから、約束なんてできないことだろうよと思いましたが、今やっぱり、両親より先には絶対死んではならないのだと強く思っている自分がいます。そこに弟の死を否定する気持ちはまったくありませんし、早くにこの世を去らなければならなかった弟の悲しみ、無念、親への申し訳なさ、それから弟への尊敬の気持ち、それらはすべて私の心の中にあり、大切に大切にしたいと思っていることです。