もう1人の主役(8)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(4)
弟が救急車で運ばれどうなることかと思いましたが、無事第一志望の高校に合格して春休みを迎えました。入院中の弟は命はとりとめたものの記憶がおかしかったり言葉がでなかったりしてしばらく検査が続いていました。母はことあるごとに涙を流し、悲しみの渦の中にいました。私も弟の命が助かって嬉しい反面、出来たことが出来なくなること、弟がこれまでと違う状態になっていることはすごく悲しく、認めたくない怖いことでした。
何も出来ない私は弟に手紙を書きました。なくなってしまった数年分の記憶を少しでも思い出してくれるように、家に帰りたいと思ってくれるように、弟が笑ってくれるように、また一緒にあそべるように・・・猫のこと、弟の好きなゲームのこと、一緒にあそんだこと、学校のこと・・・字が読めないと困るのでイラストも入れて、書き続けました。自分の無力さが悲しく、心の余裕もなくて、友人からのあそびの誘いを断り家にこもって過ごしていました。母の帰りは毎日夜遅く、作っておいた夕飯を家族で食べて、弟の話を聞いて、眠るのは深夜。目が覚めると母はいつも病院に行っていて、私はダラダラとテレビゲームや高校の宿題をして、買出しに行って家事をしました。
この不安定な日々を支えてくれていたのは、弟が搬送された病院でお茶を入れてくれたおばさんでした。私の父は中学校の教員をしているのですが、生徒さんがたまたまその病院に入院していて、話を聞いたお母さんが慌ててかけつけてくれたとのことでした。「ごめんね、湯飲みが足りなくて・・・」とごはん茶碗に入った温かいお茶を差し出してくれた見知らぬおばさんは、泣くしかできない私に「中学生なの?」「高校受かったらどんなことしたい?」と話しかけてくれました。温かいお茶とおばさんの優しさはとてもありがたくて、私は落ち着きを取り戻すことができました。あの時会ったきりで、もう顔を思い出すこともできないけれど、あのぬくもりは今でも私の中にずっと灯っています。そして私は、「病気でつらいご家族に温かなお茶を出す、そんな仕事に就きたい」と思い、本屋でみつけた「医療ソーシャルワーカー」になることを決めました。
弟はめきめきと回復し、記憶も取り戻し、すっかり元通りの弟になって退院しました。新聞などの取材を受けるとよく「弟さんが退院してきた時どんなふうに思った?」と聞かれるのですが、どうしてもその部分の記憶がありません。思いだせるそこに一番近い記憶は、暗い部屋で毛布にくるまってゲームをしている自分を遠くから眺めるような風景で、次の記憶は弟のいる日常になってしまうので、聞かれるといつも困ってしまうのです。「きょうだい」としての日々は暗くて、静かでした。