もう1人の主役(48)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。

先日、奈良親子レスパイトハウスさんが行われた「きょうだい支援」がテーマのセミナーに参加してきました。きょうだい支援のお話や、様々な立場の方からのレスパイトハウスの活動紹介があり、きめ細かで丁寧な関わりに感動して帰ってきました。
セミナーの中で、看護の視点から長年きょうだい支援を実践しておられる藤村真弓先生がつくられた「拡がる病児のきょうだい支援」のDVDが上映されました。DVDはきょうだいの支援に関わる医療者やボランティア、親御さん、きょうだい達へのインタビューで構成されています。私がいつも心を動かされるシーンのひとつに、インタビュアーの方がきょうだいに「今日はあなたとあそべてお父さんお母さんも楽しそうだったね」と声をかける場面があって、ここでいつも泣いてしまいます。セミナー終了後にお話しさせていただいて、この声が監督の小島先生だったことがわかったのですが、どうして私がこのシーンで心が揺さぶられるのだろうと帰り道考えていました。
病気の弟がいた頃の私は、自分が両親にとって負の存在でしかないと強く思っていました。私の育った環境は弟が病気である以前に少し特殊だったかもと思うところがあって…たとえば、私が生まれた時、親戚の人たちが男の子でなかったことに肩を落とし、母への第一声が「次頑張ればいいよ」だった話を幼い頃から聞かされていたり、母が身体が弱く、「私が病気がちになったのはあなたを産んだから」と言われて育っていたり、自分は生まれて来なければよかった子どもなのだという気持ちが心の底にずっとありました。弟の病気がわかった時には親戚が「長男が難病なんて…せめてお姉ちゃんだったら、ねえ」と母に話していましたし、どうして自分の方が病気にならなかったのだろうという罪悪感、これ以上迷惑をかけてはいけないというプレッシャーを抱えて育ちました。
自分と過ごしてお父さんお母さんが楽しい、なんて、当時の私にはまったく想像がつかない発想です。だけど、大人になって子ども達と関わっている今ならこんなこととても簡単でシンプルに、その通りだと思います。当たり前すぎて、あえて言葉にして伝えたりしないことなのかもしれません。だから私は、小さなきょうだいが「あなたとあそべてお父さんお母さんも楽しそうだったね」という言葉を贈られているシーンに心が動くのだと思います。子どもとあそぶと大人も楽しくて嬉しいこと、子ども達は支えられているように見える時も大人を支えてくれていること、実感できていないきょうだいさんにたくさん出会います。これからも言葉にしてどんどん伝えていきたいなと改めて思います。