もう1人の主役(36)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

「言わなくてもいいよね?」
 春が近づいてきました。最近何件か同じ質問をいただき、考えていることがあります。質問は、「4月から、きょうだいが障害のある子(病気の子)と同じ学校に行くことになるのだけど、『障害のあるきょうだいのことを友達に言わなくてもいいよね?』と聞くのです。どうしたらよいでしょうか。」というものです。たいていの親御さんはきょうだいさんにこう言われると、とても傷つき悲しい気持ちになるでしょう。同じ学校に行くきょうだいを守ってほしいと思っているのに…とがっかりするかもしれません。
子どもの世界は、家と学校でほとんどすべてです。学校で身の安全が脅かされないことは本当に重要なことなのです。「友達と同じでいたい」「目立ちたくない」という気持ちは子どもなら持っていて当然の気持ちで、それは守ってあげたいと思っています。
それとは少し違い、「うまく説明できないからいやだ(ちゃんと説明できるなら言ってわかってほしいと思っている)」とか、「お父さんお母さん(あるいは先生)から説明してほしい」とか、何かクリアできることがある場合は、それを一緒に探し、考えてあげたいと思います。
きょうだいは自分だけでなく他の人からの疑問に答えなければいけない状況におかれることが何度も出てきます。意地悪なことを言われたり、偏見に満ちたことを言われた時に、自信をもって「それは違う」と答えられることは、きょうだい自身の心を守ることにつながります。病気のことを説明できなかったり、うまく言い返せない自分はだめな子だと自信をなくしてしまうきょうだいも多いのです。練習なしに病気の説明を上手にできる子どもはなかなかいません。
それから、「きょうだいのことを知られたくないと感じる自分でもいい?」という質問にも思える時があります。きょうだいの病気や障害を前向きに受け入れ、友達に何を言われても堂々と言い返せる、そういう自分でいるべきだと思っている子どもは、自分の気持ちを押し殺して頑張り過ぎてしまうことがあります。頑張りきれなくなって「そんな自分でも受け入れてくれる?」という不安でいっぱいな気持ちでいるのかもしれません。
友達に言いたくない、知られたくない、という気持ちと、病気や障害のあるきょうだいを大切に思う気持ちは同時に存在します。言いたくないから、大切じゃないというわけではないのです。この両方の気持ちを持ち続けるのは大人でもしんどいことです。
「きょうだいのことわざわざ言わなくてもいいよね?」と聞かれたら「もちろん、いいよ」がいちばん最初に返してあげたい言葉だなあと思うのです。言わなくてもだいじょうぶ、まずはその「安心」の土台ができることで、きょうだいは自分の気持ちをゆっくり整理することができるようになっていくのではと感じています。