もう1人の主役(34)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(18)
4月からの東京での大学生活について、母に一緒に考えてもらうタイミングをはかっていた私でしたが、いよいよ余裕がなくなってきました。
それとなく話をしても母は上の空で、寮の申し込み期限はとっくに過ぎていました。
意を決して母に「4月からの大学のことなんだけど…」と切り出すと、母の第一声は「ああ、それね。本当に行くつもりなの?」でした。私の中で何かが崩れ落ちたように感じました。母は矢継ぎ早に続けました。「あなたが成績が悪くて大阪の公立大学は難しいかもって言ってたから、どこか他に安く行ける大学をと思って薦めたんだけど、お母さんこの間あなたに風邪をうつされて寝込んだ時に自信なくしちゃって、私が寝込んでいる時に淳(弟)に何かあったら対応できないでしょ?4年は長いし。あなたも本気で寮とか探してるわけでもないみたいだし。補欠合格だったからややこしくなったんだし。だいたい風邪なんかうつすから…」母の口は止まりません。私も本当はわかっていたのです。私は東京の大学には行けない。私の口は「行くわけないやん。どこか安い予備校探そうと思ってるんだよね。」と勝手に動き、母の話を遮りました。これ以上話を続けるのは、母も私もかわいそうだと思いました。
全部自分が悪いのだと思いました。良い成績を取れなかった自分、風邪をひいてしまった自分、東京に行けると思ってしまった自分、母の迷いに気づかないふりをしていた自分、本気で大学に行く準備をしなかった自分…。
母が私を東京に行かせてあげたいと思った気持ちに嘘がなかったこともわかっていました。どうすることもできませんでした。もっと駄々をこねたら行けるのかもしれないとは思いましたが、自分の気持ちを優先して部活を続けた時の苦しい罪悪感を思い出すと、あきらめる方がずっと楽なことを知っていました。
父は私の決定に怒りました。多分私をあきらめさせたくなかったのでしょう。でも「受験代もこれから1年の予備校代もドブに捨てるようなもの。わがまま聞いて交通費も受験料も払ってやったのに。そもそも大学に行こうとするお前のエリート志向なところが気に食わない。」段々エスカレートする父の言葉はひとつひとつ私の心に深く刺さり、父と母との仲も険悪になり、私の心は自分を責める気持ちで真っ黒になりました。
友人や塾の先生も私の選択を否定しました。自分でもわけのわからない選択をしていることはわかっていたので(受かったのに行かないなら受けなければよいわけで…)、話せば話すほど後悔が押し寄せ、情けなくなりました。みんなの優しさはよくわかりました。でも、病気の弟が家にいない人には理解してもらえないと思いました。その時の私はもう、遠くの大学に行ったら必ず弟が死んでしまうという間違った不安に支配されてしまっていました。
反対を押し切って自分で浪人する選択をしたからには、もう誰も頼ることはできないのだと思いました。楽しみにしていた卒業旅行はキャンセルしました。何が何でもあと1年で合格しなければ、今度こそ心が折れてしまいそうでした。私は慌てて安く通える予備校を探しました。最初に行った予備校では対応してくれた人に「どうして福祉系に進むの?」と聞かれ、病気の弟のことや、医療ソーシャルワーカーになりたいことを話すと「弟が病気だからって福祉に向いてるわけじゃない。甘い気持ちで選ばない方がいい。」となぜか説教され、いきなり暗い気持ちになりました。駅のベンチに座ったら涙があふれ、悲しいと思う感情が自分からなくなってしまえばいいのにと願いました。