もう一人の主役(22)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(11)
 「弟が死ぬことよりも大きなことはない」という言葉はどうしようもなくその通りでした。大好きな弟がいなくなってしまうことを想像するのは本当につらくて、そうならないためなら何でもしたいと思いました。
 この言葉は私の心の深いところに刻み込まれ、一番大きな柱になりました。たとえば友達とうまくいかなくても、たとえば成績が悪くても…悲しくて涙が出ることがあっても、怖い目に遭っても、大きな失敗をしても、「弟が死ぬこととくらべたら全然たいしたことじゃない」と口に出すと気持ちが楽になるように感じ、鎧のように、ずいぶん長い間私の心を守ってくれたように思います(鎧は呪いにもなりました。それはまた別の機会に…)。
 母もきっと同じでした。私に部活をやめてほしいと言わなければならなかった母の痛みがよくわかったから、私もあきらめることにしました。やっとみつけた居場所を手放すのは心が痛いことでした。涙が出そうになっては「ここで泣いたら弟や母がつらくなる」「だいじょうぶ、こんなこと全然たいしたことじゃない」と自分を励まし、だけどお風呂でこっそり泣いたりしました。
 翌日ドキドキしながら例の顧問の先生に理由を話し、退部したいと告げると、あっさりと却下され、先生はこんな感じのことを言いました。
「ここで君が部活を辞めるのは簡単なことだけど僕は正しくないと思う。今辞めたら君と弟さんの関係も、家族の関係もおかしくなってしまうよ。親御さんに僕が電話してあげてもいいから、もうちょっと頑張ってみようよ?」
 想像もしていなかった答えに私は戸惑いました。「私は弟が大事なんです。だから部活を辞めたいんです。」もう一度言う私に「君の気持ちはよくわかる。でもそれとこれとは別なんやなあ。もう1日考えておいで。」と言った先生の気持ちを、今なら理解することができます。本当に良い先生だったと思います。
 私は悩みました。母の「淳はどこにも遊びに出られないのに」という言葉もひっかかっていました。私が部活を続けることで、制限だらけの生活をしている弟が悲しい思いをするかもしれない。両親もこんな私を残念に思うだろう…。「私が我慢したら弟と私の関係がおかしくなる」というのは、自分のしたいことを優先する自分への言い訳でしかないと思いました。
それでも、先生の気持ちは嬉しくて、最終的には条件付で部活を続けることを選びました。具体的には、弟を起こさないように朝早い試合には遅刻して行くということ。精神的には、弟よりも自分の楽しみを優先した罪悪感を背負っていくということ。
両親の顔は渋いままでした。私は家では部活の話をしなくなり、毎日弟と両親に申し訳ない気持ちを引きずりながら学校に行っていました。自分の大切なものを離さないことよりも断ち切ることの方がずっと楽なのだと思いました。