もう1人の主役(17)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

泣いてもいい
「きょうだいの日」の一時保育室に、まだ1歳の小さな弟くんと5歳の小さなお姉ちゃんが来室しました。お母さんの姿が見えなくなって弟くんは大泣き。お姉ちゃんは心配そうに不安そうに弟くんのそばでかたまってしまいました。私は講師の出番があるのでそこで後ろ髪を引かれながら退室したのですが、あとでスタッフに続きを聞いたところ、1歳の弟くんはおじいちゃんボランティアさんに抱っこされ外を見たら落ち着いたとのこと。お姉ちゃんは、そのスタッフが抱きしめ「だいじょうぶ、泣いてもいいんやで」と言ったら、ポロポロと涙をこぼし、うわーんとひとしきり泣いたあと、楽しくあそんで帰ってくれたそうです。
 
弟のお葬式の日、母のところにくるお客さんや親戚はみんな「泣いたらいいよ」「かなしいね」「つらかったね」と声をかけていましたが、私のところに来ると「しっかりお母さんを守ってあげてね」「これからは弟くんの分もお姉ちゃんが頑張ってね」と励ましました。母は親戚に、たぶん冗談交じりで「悠代は泣いてばかりでぜんぜん頼りにならなかった」と話していました。私がしっかりしないといけない、私より母の方が悲しいんだから。それは弟の病気がわかってからずっと思っていたことでした。弟が亡くなった今だからこそ泣いてはいけない、泣いたら母を守ってあげられない。私は自分の悲しみのために泣くことをやめようと思いました。
泣かずにいるには現実から目を背けるしかありませんでした。弟が亡くなったこと、それが悲しいこと、みんな他人事と思うようにすることで、自分の心に蓋をできている、自分の感情をコントロールできていると思い込んでいました。弟のことを話すとき、私が泣かないので「冷静に話せてえらいね」「強い人なんだね」といわれることが増えました。今思うとあの時期の私は戦わなくてもよいはずのものと戦い、いつも疲れていました。だんだん世の中を薄い膜を通して見ているようになり、時々、そうなる前の自分を思い出せなくなりました。
「泣いてもいい」と自分を許してあげられるようになったのは最近のことです。泣いても誰にもがっかりされない場所、泣いてもみんながあたたかく受け止めてくれる場所、そういう場所があったんだということにやっと気づきました。それは例えばしぶたねの会議や反省会、例えばにこトマさんのミーティング…。
愛情は、相手の心が受け取る準備ができてないとなかなか届かないんだということが今はよくわかります。私は思春期をきょうだいとして過ごし、どんどん張り詰め、ひねくれていったので、こうして「泣いてもいい」を心で受け取れるようになるまで、ずいぶん遠回りをしました。子ども達にも、大人にも、「泣いてもいいよ」と言ってくれる人、泣ける場所、きっと大切なのですね。
これまで、私の話を聞いて親御さんが泣かれるのはとても心が痛むことでした。大好きな母を泣かせてしまうようで。「そうじゃないよ、泣けるのはいいことなんだよ」とあちこちで様々な立場の方に言っていただいたことの意味が、今少しずつじわーーっとしみこんでいます。