もう1人の主役(30)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(14)
 きょうだいとしてのしんどさに気づいてしまった高校生活でしたが、友達もでき、気持ちが安定するのに合わせて成績も落ち着いていきました。私は2年生になり、卒業後の進路を決める時期にさしかかっていました。病院のソーシャルワーカーになることが私の夢だったので、当然福祉系の大学に進学するつもりでいましたが、その選択は両親にも弟にもあまり嬉しくないことだったようで、「ちゃんと自分のやりたいことをみつけなさい」と返されてしまいました。
 弟が生死の境をさまよっていた時にあたたかいお茶を淹れてもらって嬉しかったから、つらい思いをしている患者さんのご家族にあたたかいお茶を渡せるような仕事につきたい。そのこと自体にきっと悪いところはひとつもないはずだったのですが、「それはあなたが本当にやりたいことじゃない」「良い子にならなくてもいい」「弟が自分のせいで姉の進路が変わったと思ってしまう」と言われ、私は困ってしまいました。
 そもそも、自分が大人になった時、弟がどういう状態なのか、両親はどうなっているのか、私にはまったく思い描くことができませんでした。
 将来弟を1人養っていくなら、それなりの仕事に就かないといけないのではないか、それなら大学は出た方がよいのではないか、そう考える私に対して両親は「弟のことは何も心配しなくていいから、お前の好きなようにしなさい」という姿勢でしたが、具体的な将来の設計図が出てくるわけではなく…。今は好きな道を選んでよいと言ってくれているけど、それは部活を辞めるよう言われた時のように、途中であきらめなくてはいけないようにならないのか、結局弟や私が困ることにならないのか、と、漠然とした不安に包まれ、両親の言葉をそのまま受け止められずにいました
(病気の子どもの「きょうだい」には、親御さんの期待をかけられ苦しむ子や、将来福祉や医療の道にすすむことをすすめられて困る子も多いと聞いています。それを思うと私はとても恵まれていたのだと思います)。
 確かに、私に病気の弟がいなかったら選ばなかった道だったかもしれません。でも、ソーシャルワーカーという仕事を知ることができたことは、今思えばきっと「『きょうだい』で良かったこと」の貴重な1つだったのだと思います。しかしそれは誰にも賛成されず、応援もされず、私は迷路に放り込まれたような気持ちでした。
――― 本当は、人にほめられたいから福祉の仕事をしようと思っているんじゃないのか?
という考えまで出てきて私を苦しめました。何日も何日もぐるぐる悩み、結局、弟が気に病まないように、「医療や児童関係ではなく、高齢者福祉に関わる仕事をしたい」と言って私は両親を説得しました。この決断によって遠回りをすることになるのですが、これ以外の着地点を思いつくことができませんでした。
 
 私が「きょうだい」じゃなかったら、誰にも反対されず夢に向かってさわやかに歩くことができたのかもしれません。「きょうだいで良かったこと」は「きょうだいでつらかったこと」になってしまっていました。