京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。
先日、「きょうだいの日」の進行役をしている副代表と話をしていた時に、「いいこと言うなあー」と思ったことがあったので、今日はそのことを書こうと思います。
親御さんがきょうだいさんのことをお話しされる時、「きょうだいの方も見てあげないと、とは思ってるんですが…」「きょうだいをほっとくことになってしまって悪いなと思うんですけど…」という表現がとても多いと感じます。親御さんの罪悪感や苦しさが伝わってきて、「だいじょうぶですよ」と言いたくなります。
副代表はこの話を聞いて「それってもったいないよね」と言いました。「親御さんだって本当は大好きなきょうだいともっと近くにいたいし、ゆっくりあそびたいのに、その単純な気持ちがだんだん見えなくなってしまいそうでもったいない気がする…。」
入院中の病気のお子さんに付き添いされている親御さんは、家で待っているきょうだいにきっととても会いたいと思います。大切で可愛いわが子に会いたくない親御さんなんていないでしょう。もっと会いたいし、もっと一緒に過ごしたいし、もっと癒されたいのではないでしょうか。
病気や障がいのあるお子さんと関わる時間が長い親御さんも、きっときょうだいともあそびたい気持ちでいっぱいだと思います。きょうだいは「面倒をみてあげないといけない存在」だけではないはずです。もっと可愛がりたい、笑顔が見たい、大切にしたい、でも、それができない、という罪悪感から「可愛がってあげないといけない」「かまってあげないといけない」存在になってしまうとしたら、本当にもったいないことです。
こんなふうにおっしゃる親御さんの中には、病気のお子さんにも、きょうだいにも、弱い自分を見せてはいけないのだと思っている方もいらっしゃるのかもしれません。我慢している子ども達に、寂しいこと、つらいこと、しんどいこと、言ってはいけないと頑張っておられる方も多いと思います。「もっとこうしてあげないといけないのに」という思いから「ごめんね」という言葉が出てくるのだと思います。でも…きょうだいの中には「あそんであげられなくてごめんね」と言われるより「ママも、パパも、○○ちゃんとなかなかゆっくりあそべなくてさみしい!」と言われる方が嬉しいと思う子もいるかもしれません。「パパも、ママも、自分のことが大好きで、自分と一緒にいたいと思っている」ということを実感するのは、きょうだいが自分を大切にできる大人になるために必要な体験だと思いますが、病気の子どものきょうだいにとって時々すごく難しいことだからです。
きょうだいたちは、親御さんの大変さをよくわかっていて、中には何もできない無力な自分を責めているきょうだいもいます。そこに親御さんが、「あなたのことももっと見てあげないといけないんだけど…」と思っていたら、きょうだいは、自分は重荷になっているのだと感じるかもしれません。さみしかった気持ちを言い出せなくなってしまうかもしれません。
「ママは○○ちゃんに会えなくてさみしかった!」「わたしもさみしかった!」と、お互いに言い合うことができたら…時には「ママも寂しいのを我慢して頑張ったから○○ちゃん、ママの頭をなでて」と、きょうだいと頭のなであいっこをできたりしたら…まっすぐ伝わる気持ちもあるのではないかな、と思いました。