もう1人の主役(14)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

言ってほしかったこと
「しぶたね」を立ち上げる時、その理由のひとつとして「自分が子どもだった時に言ってほしかったことをきょうだいたちに言ってあげられるような場所を作りたい」ということがありました。その時の私の頭の中にあった「言ってほしかったこと」は、「ひとりじゃないんだよ」ということ。きょうだいのためのワークショップを作って広めているアメリカのドナルド・マイヤーさんという方のトレーニングを受けたときに、マイヤーさんがきょうだいたちに「君たちはひとりじゃないんだよ」と優しく語りかけるのを見て、幼かった自分がその子どもたちに混ざってマイヤーさんを囲んで三角すわりをし、「ひとりじゃないんだよ」と言ってもらったように感じて、胸がいっぱいになり、ポロポロと涙が出ました。そうだ、私はそう言ってほしかったんだ、とはっとしました。いつでもひとりきりだと感じて張り詰めていた自分自身に、今そんな状態にある幼いきょうだいたちに、あなたはひとりじゃないんだよと伝えてあげたいと思う気持ち。それはしぶたねを立ち上げる大きな原動力でした。
最近きょうだい仲間と、その「子どもの時に言ってほしかったこと」について話をする機会がありました。子どもの時に1番言ってほしかったことって何だろう?うーんうーん と考えた私の口から出たのは「いてもいいよって言ってほしかった」でした。私は、この家に、この家族に、母や父の人生の中に、居ていいんだよと言ってほしかった。こんな当たり前のことなのに、そう思うことは私にとってすごく難しいことでした。
あんなに大切に育てられていたのに、なんて傲慢で親不孝なことを考えていたのだろうと今は思うのですが、当時の私は今では考えられないくらい孤独感でいっぱいで、自分が存在している価値や、生きていることの幸せがわからなくなっていました。私の役割は弟のことで手一杯な両親に心配をかけないこと、手間をかけさせないこと。そうやって自分を縛っていた私はだんだん自分の存在を消してしまいたいと思うようになっていきました。小さく小さく見えないぐらい小さくなって、両親が気づかないうちにスッと消えてしまえたらどんなにいいだろう。そして両親がいなくなって弟が困った時にだけパッと出てきて弟を助けられたらどんなにいいだろう…。そんなことばかり考えていました。
私は「いってきます」や「ただいま」を言わなくなりました。家族に「いってらっしゃい」や「おかえり」を言う手間すらかけさせてはいけないのだと思っていたから。私が家にいなくても誰も困らないと思っていたから。思春期の私にとって、家は自分の居場所ではありませんでした。
今しぶたねの活動をしていて、「自分なんて、いなくなったらいいんや」と泣いたきょうだいの話をたくさん聞きます。私がそう思っていたのはもう15年も前のこと。15年経ってもきょうだいの悲しい気持ち、孤独な気持ちは変わらないし、今もどこかでこうしてきょうだいが泣いているのかもしれません。