もう1人の主役(31)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(15)
 大学に進学して社会福祉を学ぶと決めた私は学校探しを始めました。福祉を学びたいと思った時、最初に頭に浮かんだ学校がありました。私の高校入試前に弟が倒れて入院した時、ひとりきりだった私の心を支えていた本を書いた先生のおられる大学でした。さまざまな福祉の仕事について紹介してある本で、私はその中の「医療ソーシャルワーカー」について書かれたページ、それから、福祉の仕事を目指す人へのメッセージが書かれたページを何度も何度も読み、未来を楽しみに思う力をもらっていました。
 しかしその大学は東京にありました。家を出て東京で暮らすということは、経済的にも、重い病気の弟がいる家庭の状況からも、私にはとてもできないことだと思い、すぐにあきらめました。
 高校でもらってきた学校紹介の分厚い情報誌を眺めている時、母親が「ちょっと貸してみて」とページをめくり、「ああ、ここ。ここはどう?ここならおばあちゃんの家から通えるんじゃない?」と開いたページを私に見せました。それはまさに私がいったんあきらめた大学でした。私は驚き、嬉しくなりました。
 でも、病気の弟を置いて家を出ることはとても悪いことのように思いました。「ここに通ってもいいの?」と聞いてはいけないような気がして、私は何も言えずドキドキしました。「ほら、私立だけど公立の大学と同じ学費で通えるって書いてあるよ」「あなたはこの学校のすぐ近くの病院で産まれたんだよ」と母は話を続けました。これは本当に「行きたい」と言ってもいいのだと思いました。ここを受験したいと言うと、母は「よし、じゃあまず見学に行こう!」と言ってくれて、次の日曜日、弟を父に預け、本当に日帰りでその大学に連れて行ってくれました。
 「ここを受験したい」と言ったものの、私は迷っていました。ひとりにできない弟が家にいるのに私が4年もいなくなってだいじょうぶなのだろうか、こんな親不幸が許されるのだろうか、弟にはできないことを私がしてもよいのだろうか…。でも、実際にキャンパスに立ち、憧れていた先生の研究室があるのを見たら、この大学に通いたいという気持ちは大きくなりました。
 当時の私は、弟と一生いっしょに暮らすのだと思っていました。でも高校生の私にできることは少なく、例えばいつ倒れるかわからない弟がひとりにならないよう一緒にいること、母が弟についていられるよう時々買い物をすること、それぐらいしか役に立つことはなく…それなら、両親が若くて元気な間に外に出て経験を積んでおくのも悪くないのではという気持ちも生まれてきました。
 「弟と両親」それと「私」という家の中の空気がしんどく、少し距離をとりたかったというのもあったと思います。それに、私には関心がないのだと思っていた母が、私のために考え、張り切ってくれたこともとても嬉しいことでした。私はその大学を受験することを決めました。