京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。コラムのタイトルは「もう一人の主役」。前代表の神田さんがつけてくださいました(わーい)。
渡すこと聴くこと
重い病気をもつ子どものきょうだいたちは、不安や心配、罪悪感、いろんな気持ちを抱えていて、私たち大人はそのしんどい気持ちを軽くしてあげたいなと思いながら、きょうだいたちのいろんな質問に答えます。
たとえば「病気はぼくのせい?」という質問に、
「そうじゃないよ」と安心を渡すこともできますし、
「そう思っていたら不安だったよね、こわかったよね」と「聴く」ことで安心を渡すこともできるなあと感じてきました。
ある大きくなったきょうだいさんが、子どもの時に病院の廊下で過ごした経験について話してくれました。中学生以下のきょうだいは、感染予防のために病棟のガラス扉の向こうに入ることはできません。「どうして私は入っちゃだめなの?」きょうだいさんの質問に、大人たちはみんなその子にわかるように一生懸命言葉を選んで優しく答えてくれたそうです。外から病気の菌やウイルスを病棟に持ち込んで、入院している子どもたちにうつってしまったら困るでしょう?あなたも病棟の中の菌を外に持ち出してしまったら困るでしょう?入院しているきょうだいが病気にかかったら退院がもっとのびてしまうでしょう?
私も同じ質問をされたらきっとそう答えるだろうなあと思いました。でもその子が教えてくれたのは、「そんなことは1回聞いたらわかってた」でした。そんなことはわかっている、だから無理やり入ろうとも思わない、だけど、家族の中の自分だけが扉の向こうに行けない悲しさややるせなさ、それを受け止めてほしかったんだと話してくれました。
きょうだいたちの質問に答えたり情報を渡そうと思っている時、早く安心させてあげたいと思っている時ほど、「聴く」ことにも意識を傾けなければいけないという大切なことをその子は教えてくれたのでした。
振り返れば、親御さんたちにきょうだいの気持ちやサポートについてお話をさせていただく時の自分も、少しでも役に立つ情報を渡したい、少しでも早く親御さんの気持ちが楽になってほしいと思えば思うほど、親御さんたちの不安や自責感、いろいろな複雑な気持ちをひとつひとつ想像して大切にすることがおろそかになっているかもしれないと反省し…渡すことと聴くことにもっと敏感でありたいなあと改めて思ったのでした。