京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。
先日、自治会の係の仕事で「赤ちゃん会」のお手伝いをさせていただくことがありました。赤ちゃんとお母さんが公民館に次々にやってきて、身長や体重を計測し、保健師さんがお母さんの相談にのったり、お母さん同士でお話している間、赤ちゃんたちが転がってあそんでいるのを眺められるという幸せなお手伝いなのです。
1人、5歳ぐらいのお兄ちゃんが赤ちゃんとお母さんと一緒に来ていました。大きな子どもは自分だけで、なんとなく居心地が悪くて、周りの人はみんな赤ちゃんのことばっかりで…。「ああ、きみの気持ち、ちょっとわかるかもよ」とついつい気になって、お兄ちゃんのところに行って牛乳パックのびっくり箱で一緒にあそびました。
牛乳パックをたくさんたくさん重ねて、押さえて、手を離すと噴水のように飛び跳ねます。お兄ちゃんの顔がぱっと明るくなり、私も嬉しくなりました。「お母さん、見て見て!」と誇らしげに見せると、「わ、すごいね」と驚いてくれたあと、お母さんは「今日は赤ちゃんの日なのに、あんたが楽しんじゃってるのね」と付け加えました。お母さんにとっては、遠慮や申し訳なく思う気持ちからの言葉だったと思いますが、お兄ちゃんの「楽しい」の気持ちはしゅっとしぼんだように見えました。帰り際、お兄ちゃんに「一緒にあそんでくれて楽しかった!ありがとう」と声をかけるとニカっと笑って、何度も振り返り手を振ってくれました。
病院に連れて来られるきょうだいさんや、きょうだいの療育について行って待っているきょうだいさんがたくさんいます。私が会ったお兄ちゃんが、居心地の悪い場所に連れて来られ、主役じゃない体験をするのはきっと少しの間のことですが、きょうだいたちはこれがもっともっと長い間続いたりします。
子どもたちは「歓迎されてない」空気をよくわかっています。大人になって「あの時の、自分は邪魔なんだと感じる気持ちがつらかった」と話してくれるきょうだいに何度も会ってきました。子どもにそんなふうに感じさせるのは悲しいことです。
私たちが病院できょうだいさんたちとあそんで待っている活動は、外から見たら「親御さんが安心して面会できるように、きょうだいを預かっている」ように見えるのだと思います。でもその内側は少し違っていて、ボランティアさんたちは、きょうだいのために集まってくれた人ばかりで、「寂しい気持ちや不安な気持ちでいるきょうだいに寄り添いたい」気持ちでいっぱいです。「ここにいていいんだよ」「いつも頑張ってるの知ってるよ」「あなたとあそぶのとっても楽しい!」言葉にしなくても、「歓迎されている」空気が伝わるといいなと思っています。
きょうだいのためのボランティア活動がなくても、「歓迎されている」空気を伝えることはできます。例えば子ども用の椅子、もっと小さな子が座って待てるマット。例えば挨拶すること、にっこりほほえみかけること…。きょうだいたちがどこにいても、誰かに見守られ、大切に思われ、安心していられるように、それが当たり前になるように、願っています。