もう1人の主役(29)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(13)
 高校時代は中学生の頃とくらべて行動範囲も広がり、世の中に楽しそうなことやおもしろそうなことがいっぱいあることに気づく時期でした。その分「きょうだい」らしい悩みと向き合うことも増えていきました。
 部活もそうでしたが、友達と電車に乗って街にあそびに出かけるのも、好きなアーティストのライブに行くのも、両親にはあまり歓迎されないことでした。もちろん娘が心配だという気持ちもあったと思いますが、遠くまで出かければ弟に何かあった時にすぐ対応できないし(当時は携帯電話どころかまだポケベルすら高校生は持てないような時代でした)、人ごみに出かけると風邪やインフルエンザなどの病気を持って帰る可能性が高くなるし、帰りが遅くなれば弟の生活リズムが乱れて体調に影響が出るかもしれない…と、きょうだいだからこそ納得するしかない理由がありました。友人たちの世界が広がっていくのを間近で見ながら、自分だけが取り残されているように感じ…他の友達は何も悩まずできることを自分は悩みながら、罪悪感を抱えながらでないとできないのだということが時々悲しくなりました。
 両親は弟が新しい経験を積むための努力や工夫は惜しまなかったので、それが私をさらに焦らせました。弟がいろいろなことに挑戦できない理由は誰もが納得するものだけど、自分がこのまま経験不足で何もできない大人になった時、誰も許してくれないのではないかと不安でした。
 両親や親戚の大人の人は「大人になったらいくらでも好きなことができるんだから今焦ってやらなくてもいいじゃない」とよく言いましたが、私が大人になっても弟の病気は治らないのでは?いくらでも好きなことをできる日なんて来る?その時私の好きなアーティストはまだライブをやっている?一緒にあそびに行ってくれる友達はいる?と、頭の中にいつもハテナがたくさん浮かぶのでした。できないことばかり考えると悲しくなってしまうので、世の中に私の好きなことがなくなったらいいのに、日曜日がなくなって毎日平日になればいいのに、とよく思っていました。
 結果的には、大人になった今、好きなことをしているわけですが、中学生の頃、高校生の頃、毎日新しい日がやってきて、その日はその日限り、その時じゃないとだめなこと、大人の目から見たら些細なことやつまらないことでも、自分にとってはそれがとても大事で、もう今はそれが全てなんだ、みたいなことがたくさんありました(友達付き合い、恋愛、部活…まさに青春?)。家族との関係が中心の生活から、友人との関係が重要になっていく時期だったのだと思います。でもそれは弟の命と比べた途端、本当に小さなことになってしまいました。
 私はずっと、他の友人に用意されている明るい将来のようなものが、自分にはないように感じていました。弟にも明るい将来は用意されていないように感じていました。当時は自立して生活する病気の方や障害者の方と出会う機会もなく、両親や親戚が弟は結婚できないだろうと言っているのを聞いて、病気の弟と私は一緒に暮らしていく選択肢しかないのだと思っていました。