もう1人の主役(33)

京大病院小児科に「楽しい時間」をプレゼントしていらっしゃるボランティアグループ
にこにこトマトさんのニュースレターに04年10月からへなちょこなコラムを書かせていただいています。
コラムのタイトルは「もう一人の主役」。神田さんがつけてくださいました(わーい)。

弟と私(17)
卒業式が近づいていました。高校3年のクラスはみんな仲が良かったので、別れを惜しみ、残り少ない高校生活を楽しむ空気で盛り上がっていました。クラスで文集を作ったり、○○な人ランキングを作ったり、卒業式後の打ち上げや、卒業旅行の計画を立てたり…。
卒業式の日、母は風邪をひいて寝込んでいました。卒業と言っても、私の4月からの生活は相変わらずはっきりしないままで、母は風邪で、おめでたい雰囲気はまったくありませんでしたが、それでも私にとって友達と一緒に卒業を迎えられたことは嬉しいことでした。
卒業式から帰ってきて打ち上げのために制服を着替えていると、母が「今日お父さんが帰り遅くなるらしくって。お母さんまだ調子悪くて淳(弟)が心配だから、行かないでくれないかな?」と言いに来ました。「卒業したって会いたい人とはいつでも会えるじゃない。他の人とはまたいつか同窓会で会えばいいじゃない。人生長いんだから。」と。
「お母さん、それは違うよ。今日は私にとって大切な日なんだよ。」と思いましたが、口に出すことはできませんでした。母にとってはなんでもない日でも、私にとっては人生で一度きりの高校生活最後の日。友達と過ごす最後の日。だけど、弟の命と比べたら、どうでもよい日でした。友達に打ち上げに行けなくなったことを伝える電話をしたら涙がこぼれました。でもどうすることもできませんでした。
夜になって、予定より早く父が帰ってきました。飲み会の席で娘の卒業式の話になり、打ち上げに行けなかった事情を知った同僚の人が「それはだめ。娘さんにとっては大事なイベントなんだから行かせてあげなくちゃ。」と父を送り出してくれたということでした。「大事な日だと思っていいんだ。」その人の言葉が私の背中を押し、私は家を飛び出しました。
当時はまだ携帯電話もなく、みんながいるお店の最寄り駅と店名しかわからない状態で、たどり着ける気はしませんでした。それでも私は走らずにはいられませんでした。初めて降りた駅の暗い夜道を走りながら、私は何をやっているのだろうとだんだん情けなくなりました。
数時間前は友達とたくさん写真を撮り「また夜にね~」と笑顔で手を振っていたのに、今どうしてこんなところを必死で走っているのだろうと、どうしようもなく悲しい気持ちになり、心が折れそうになった頃、聞きなれた友達の声が漏れ出ているお店を発見しました。もうお開き直前でしたが、たどり着けたのでした。
小さな小さなお店で、駅から近いわけでもなく、どうしてたどり着けたのか、今思っても不思議です。執念だったのでしょうか(笑)。みんなに「あっ、来た!」「来れてよかった!」と、わいわいと迎えてもらって、一緒に写真を撮って、ちゃんとお別れを言い合って…15分ほどでしたが、本当に来られて良かったと思いました。
もしたどり着けていなかったら、高校の卒業式を思い出すたびに悲しい気持ちになるところでした。顔も知らない父の職場の人の優しさが、私の「高校生らしい1日」を守ってくれたことに、今でも本当に感謝しています。思えば、つらい時、悲しい時、いつも誰かの優しさが私を救ってくれていました。