しぶたねができるまで

しぶたねはどうやってつくったのですか?
病院にきょうだいとあそぶボランティアを導入するには何から始めればよいですか?
最近立て続けに聞かれるようになったしぶたねができるまでの話。
手探りでわけもわからず歩いてきた足跡は、同じところをぐるぐるしたり、すごく遠回りしたりしてそうですが、まとめればこんな感じです。少しでも何かの参考になるとよいのですが…(反面教師でも…(^^;)
首領、中学生の頃、病棟の廊下で親御さんを求めて泣く幼いきょうだいたちと出会う(これがしぶたねのはじまりです)

首領、大学の福祉系の学部を卒業。研究生として大学に残りながら、きょうだい支援をライフワークにしようと決める。

きょうだい支援について調べるうち、アメリカのきょうだいメーリングリストに出会う

「きょうだいと話してみたい!」と、英語もできないのに飛び込む(笑)。
あわあわなっているのをきょうだい支援の会の方にみつけてもらう(感謝)

アメリカにはシブショップという名前のきょうだいのためのワークショップがあるのだということを教えていただき、日本でシブショップを行うことを最初の目標に。
ちょうどその時期にシブショップの創始者であるドナルドマイヤーさんが来日してシブショップのデモンストレーションを行う話が!参加してシブショップを開催できる資格を手に入れる。

シブショップのファシリテーターをできる人材をつかまえる(キャンプリーダーの経験のある大学の先輩を…後のシブレッドです(o´艸`))

仲間が必要なので、病気の子ども関係の研究会やシンポジウム、勉強会、患者会や親の会の集まりなどにどんどん参加。勉強させていただいたり、発表してきょうだい支援の必要性を訴えたり、名刺をばらまきつつ、シブショップをしたいのだということを伝え続ける。とにかくつながりをつくりたくて、ホームページも開設。あちこちお手紙もいっぱい書きました。

ある日新聞で病気の子どもと家族の支援について学ぶ市民講座を発見。あわてて電話で申し込み(この時出てくれた担当さんがなんと今のスタッフNさん)。講座で出会った大学生の女の子Nちゃんを仲間に引き込む。

その市民講座から生まれたグループで、入院している子どもにあそびを届けるボランティア活動を始める(これがあそぼっくる

3年後、講座を開催したセンターの担当さんから「シブショップやってみませんか?」と声をかけていただく

やりたい!です!!

1回目のシブショップを開催するために、グループ名を決める。しぶたねの誕生(最初のスタッフはレッドとNちゃんと首領の3人だけでした。首領は当時27歳になったところでした。)

1回目の「きょうだいの日」が無事終了。きょうだいの笑顔のために年2回行っていくことを決める。
病院での活動については、あそぼっくるで活動していた病院の先生や管理部の方を通してお願いをしていました。

いろいろありましたが4年後病院活動が実現。
今に至ります。
こうして書いてみるとよくわかるのですが、しぶたねの場合、いろいろなことがすごくタイミングがよくて、ひととのご縁に恵まれていたなあと思います。シブショップを知った時期もすばらしかったし(アメリカに行かなくてもマイヤーさんに会えた!)、センターの担当さんに講座をひらくまでに必要なあれこれを教えていただけたことも(しかもその後スタッフになっていただけたことも)奇跡のようなことでした。新聞社の方が取材して記事を書いてくださったことも、参加される親御さんの安心感につながったと思います。本当にたくさんのひとに力を貸していただきました。しぶたねを立ち上げるまでの数年間に出会ったひとたちとのつながりは今も宝物です。
これから新しい活動をはじめようと思っておられる方は、まずご自身のやりたいことを声に出して宣伝し、仲間をみつけていくことがよいのではと自分の体験からは思います。
ひとりではできないことも3人いたらできたりしますよ!もっとたくさんいたらもっとすごいことができます。ひとりは寂しいですしね…。
私は本当にどんくさいし、頭も悪いし、体力もなくて、普通に考えたら代表の仕事をできるような人間ではないのです。でも仲間がいたから、きょうだいたちの笑顔と涙が背中を押してくれたから、あと、多分天国の弟がいっぱい力を貸してくれたから、夢をかなえることができました。夢はきっと叶います。
病院の活動については、最後は管理部の方に理解して協力していただかないといけないのですが、病棟の看護師さん、お医者さん、それから、病気のお子さんの親御さんの声が大きな力になった印象でした。
今でも廊下でぽつんと親御さんを待っているきょうだいさんが日本全国本当にたくさんいるはずです。1人でも多くのきょうだいさんが笑顔になれるように、病院内の活動がどんどん広がることを願っています。ぜひ頑張ってください。